磯子高校の森

神奈川県立磯子高等学校にある小さな森を残していきたい。磯子高校の記念としても。

ツバメ、カラスに挑む

昨日(6月6日)の目撃談です。

磯子高校の東側の森と体育館、プール、ログハウスに囲まれたところでの出来事です。

二種類の鳥の鳴き声とともに、ただならぬ様子の飛び方をした鳥たちの姿が目に入って来ました。

カラスと小鳥、小鳥は三羽です。カラスに追われているのかと一瞬、思いました。小鳥はその尾からツバメとわかりました。まもなく事情がちがうことに気づきました。追われているのはカラスなのです。カラスを追う三羽のツバメたち。カラスが嫌がっている、それが見て取れたのです。

最大の驚きが次の瞬間に起こりました。なんとツバメ三羽のうちの一羽が、空中でカラスに攻撃を加えたのです!

背中のあたりをつついたのか、あるいは蹴ったのかはわかりませんでしたが、カラスはその直後、振り向きざまに少し仰け反りました。X状攻撃を仕掛けてくるツバメたちに耐えかねたように、その下にある倉庫の屋根に降り立ちました。ところが、そのカラスに休む間も与えずに、ツバメたちは猛然とカラスのそばを掠めていきます。カラスはいたたまれず飛び上がり、三羽のツバメたちの執拗な攻撃から逃れるために、さらに上昇しました。ツバメを振り切る速さのないカラスは、ともかくこの場を離れようと南西の方角へ向かいました。その間もツバメたちはカラスの周りを彗星のように回りながら追い立てていきます。校舎の陰になりましたが、さすがにカラスは退散したようでした。しかし、殺気立ったツバメたちは、カラスを追い払ったあとも興奮気味に声を荒立てながら戻ってきて、しばらく倉庫の上を飛び回ったのです。

勇猛果敢なツバメの行動でした。

コシアカツバメ…来た!

4月19日の夕方、コシアカツバメの巣のある所へ行ってみました。 まず、巣の下に糞などが落ちていないか探したところ、次の写真の状態が見られました。 (写真1) f:id:akatsukaa:20160518193214j:plain すぐに頭上を見回してみたのですが、姿は確認できませんでした。少し待ってみたものの、巣を出入りする様子も見受けられませんでした。

(写真2) f:id:akatsukaa:20160518192101j:plain でも、巣の下の写真からして、今年もやって来たと思ってよさそうでした。ただし、別の種類の鳥かもしれない、その可能性もこの時点では否定できなかったわけです。

『ツバメの謎―ツバメの繁殖行動は進化する!?』(誠文堂新光社)を読み終えたところでしたので、4月22日だったか、巣の脇の通路で上空を見上げてみると、なんとツバメが数羽、飛んでいるではありませんか。本の中にあったように、本当に近くまで来ていたのです。ツバメの種類はわかりませんでしたが、だんだんと昨年の営巣場所に近づいてきているということを実感しました。自宅近くの駅周辺でも、急にツバメの姿が目に入るようになりました。

そして、5月7日の巣の写真が次のものです。

(写真3) f:id:akatsukaa:20160518193501j:plain 巣の出入り口部分のやや欠けていた部分が修復されています。この巣を利用していることは間違いありません。

ついに5月10日、巣の出入り口で姿を確認しました。撮影目的ではなかったので、カメラを構えるでもなく、あっという間の確認でした。一瞬、ツバメと目が合いました。きらりと光を宿した、以前見覚えのある視線の向け方です。

ただ、100%コシアカツバメかと言われれば、まだ、観察を要する状況にありました。

5月14日、夕方に様子を見に行きました。巣にいるのかどうか、わかりません。他に何個かあるツバメ(Hirundo   rustica,ヒルンド・ルスティカ:ふつうに見かけるツバメのことです)の巣の様子を窺って回った後、またコシアカツバメの巣まで近づいた時、視界の隅にスッーと影が流れました。巣から飛び立っていったのです。

少しその場で待つことにしました。カメラも手にしています。しかし、構えたまま斜め上を向き続けるのは何分も持ちません。やはり三脚が必要だな、と思っていると、音もなく帰って来た(コシアカ)ツバメに気づき、カメラを向けたものの、遅かった……。また出てくるはず、と思い直して、カメラを構えていると、なかなか出てきません。ところが、隙を突くように姿を見せたかと思うと素早く流れるように飛んでいってしまいました。とはいえ、(コシアカ)ツバメが隙を突いてきたわけではありません。こちらがタイミングを計れないだけなのです。数分が経ち、「姿を見ることできたし、今日はあきらめようか」とも思ったのですが、あと5分待ってみよう、それでだめなら引き上げよう、ピントを先に巣に合わせて構図を確認し、来たら構えてすぐにシャッターを押す、そんな風にして待つことにしました。この日は、なんだか感覚的によさそうな気もしていましたし、その時間・その場所の条件も待つにはよかったのです。

壁にもたれ掛かりながら、約5分後、来ました、……ところが巣の奥へ入っていくのが速く、そこへなんと、もう一羽が顔を出したかと思うとあっという間に、飛び立っていきました。残念ながら、写真に姿を捉えられませんでした。とにかく速いのです。こちらの先入観でしょうか、巣の出入り口でいったん、スピードを緩める、あるいは立ち止まり、一拍おいて動くはず、その時がねらい目だと。

ここで見ている限り、本当にあっという間です。でも、ここまでに一つ気づいたことがあります。鳴き声です。姿が現れる少し前に、それらしきものが何度か聴こえるのです。ことばにうまくできませんが、『ツバメの謎』に鳴き声について書かれていたことを思い出し、これはそれかもしれない、次はそれをたよりにして、とにかく影がちらついた時点でシャッターを切ることを考えたのです。 正確な時間は計測していませんでしたが、5~10分の間に出ていくか帰ってくるかをしていましたから、そのくらいを念頭に置きながら待ってみました。

うまい具合にその時間内に鳴き声がし、カメラを構えました。巣へ吸い込まれるような影を感知してシャッターを切りました。そしてまた、巣から影が流れ出た瞬間、シャッターを切りました。そこで驚いたのは、それまで巣の出入り口が向いている方向に帰ってきたり飛び立っていったりしていたものが、こんどは巣から出て左側に向かったのです。その左側下斜め前に私はいましたから、(コシアカ)ツバメの顔を見たのです。瞬間、ストロボの光をもろに浴びせてしまった、との思いも合わせて、きっと「あっ!」と声を上げていたと思います。 その時の写真が次のものです。

(写真4) f:id:akatsukaa:20160518193727j:plain これは、コシアカツバメといっていいでしょうか。自分ではそう思っているのですが。

今回の経験で、一発撮りではなく、連写がいいのだろうと思ったしだいです。

緑地とは何か

今回は法律上の理解をしてみたいと思います。

都市緑地法という法律があります。

条文だけではわかりづらいので、「都市緑地法運用指針」(国土交通省都市局)を見てみました。

「都市緑地法における緑地の定義」というところに、次のようにあります。

都市緑地法(以下「法」という。)第3条第1項において、法における「緑地」の定義を「樹林地、草地、水辺地、岩石地若しくはその状況がこれらに類する土地が、単独で若しくは一体となって、又はこれらと隣接している土地が、これらと一体となって、良好な自然的環境を形成しているもの」と定義しているが、その考え方は次による。なお、これらの定義は平成16年法改正前の都市緑地保全法第2条の2で規定されていた緑地の定義と何ら変わるものではない。

ⅰ 「樹林地」とは、当該土地の大部分について樹木が生育している一団の土地であり、樹林には竹林も含まれるものである。

ⅱ 「草地」とは、当該土地の大部分が草で被われている土地であり、ゴルフ場のような人工草地も含まれる。なお、農地は原則として含まれない。

ⅲ 「水辺地」とは、池沼、河川、海、湖等の水面を含むそれらの周辺地域である。

ⅳ 「岩石地」とは、当該土地の大部分が岩石で被われている土地又は岩石が風化して角礫を多く含んだ状態の土地をいい、具体的には、海浜の岩礁地、溶岩台地等をいう。

ⅴ 「その状況がこれらに類する土地」とは、樹林地、草地、水辺地、岩石地には該当しないが、その景観、立地状況等がこれらに類似しているものであり、具体的には、樹林地に類するものとして屋敷林、庭園、街道の並木等、水辺地に類するものとして湿地帯等、岩石地に類するものとして砂丘地等をいう。なお、農地は原則として含まれない。

ⅵ 「これらに隣接している土地」は、樹林地、草地、水辺地、岩石地等の土地と一体となって良好な自然的環境を形成している土地の範囲をいい、それぞれの地域の土地の状況等を勘案してその範囲が決定される。なお、この隣接地には、緑地に介在する農地も含まれ得る。

とあります。

この中で意外なのは、農地は原則として含まれないということでしょうか。また、水面、岩礁、溶岩台地、砂丘など、植物が生えていない場所も「緑地」としていることです。

以下にあるように、基本計画の対象となる緑地には、農地が例外的に含まれる場合はあっても、原則として農地は含まれないというわけです。基本計画とは、「地域の実情を十分に勘案するとともに、施設の管理者や住民等の協力を得つつ、官民一体となって緑地の保全及び緑化の推進に関する施策や取組を総合的に展開することを目的として、住民に最も身近な地方公共団体である市町村」の「総合的な都市における緑に関するマスタープラン」のことです。

基本計画が対象としている緑地は、都市において「樹林地、草地、水辺地、岩石地若しくはその状況がこれらに類する土地が単独で、若しくは一体となって、又はこれらが隣接している土地がこれらと一体となって良好な自然環境を形成しているもの」であることから、基本計画においては、法に規定されている各種制度のみならず風致地区生産緑地地区、保存樹・保存樹林等都市における緑地の保全に資する施策を広く展開することが望ましい。

なお、基本計画の対象となる緑地には、緑地保全地域及び特別緑地保全地区に含まれる介在農地や生産緑地地区に指定されている農地、市民農園等、良好な都市環境の形成を図る施策(都市環境形成施策)に係る農地が例外的に含まれる場合があるが、原則として農地は含まれない。また、法第4条に規定する基本計画の対象となる緑地の保全及び緑化の推進に関する措置は、都市環境形成施策を除いて、農地法(昭和27年法律第229号)第2条第1項に規定する農地又は採草放牧地を対象としていない。

今回、法律を引っ張り出してきた理由は、以前触れた「緑被率」の割り出しに使われる「緑」には少なくとも、農地や採草放牧地も含まれている点が違っている、そして直接、植物の生えていない水面などが「緑」として計算される点を、まずは指摘しておきたかったからです。

極相林と雑木林

横浜において、時の流れに任せて植物の移り変わりを見守っていくと、自然な植生としてはシイやカシが優占する照葉樹林帯となっていく場所です。この状態を極相(クライマックス)といい、森林はほぼ安定的な時期に入り、通常はそれらの植物の集団として持続していくと見られています。

神奈川県東部にある緑地のうち、おもに樹木からなる緑地を考えてみます。かなり面積の広い規模の大きい所は除きます。面積でいえば1ha以下の小規模な緑地について考えてみましょう。

点在する小規模な樹林地のあり方として、なるべく極相に近い形とするのがいいのか、それともかつて人の手が入っていた二次的な自然として、雑木林のような二次林を再生・維持する形とするのがいいのでしょうか。

私の結論は後者です。

ですので、「磯子高校の森」もその形が適していると考えています。

なぜなら、神奈川県東部に点在する小さな緑地を極相状態にしてしまうと、締め出されてしまう生きものが多くなります。それらの生きものの行き場がありません。結果、死滅します。現在、残ってきているものは別として、これから手を施し、維持・存続させていくのなら、二次林であるべきです。そしてなるべくとびとびでも、生きものの移動できる可能性を考慮した残し方が必要でしょう。

横浜市は丘陵地からなっています。一番高い所でも150m台です。大平山(おおひらやま)の尾根に159.4mの部分があり、大丸山(おおまるやま)が156.8m、その次が円海山(えんかいざん)153.3mです。

磯子高校がある丘も、円海山系の北に位置しています。三浦半島を南北に連なる三浦丘陵の北端にあります。三浦丘陵は北に向けて、多摩丘陵と地形的につながっています。かつての様子を航空写真で見ますと、ちょうどこの地形のつながりと緑地部分などがイルカの姿のように見えました。『多摩・三浦丘陵群』と呼ばれる丘陵と台地をあわせたものです。左横向きで、高尾山や八王子方面からイルカのくちばしや頭、川崎市川崎区辺りが背びれ、三浦半島が腹部や尾になぞることができます。1995年6月に「いるか丘陵」の愛称が誕生したと、NPO法人鶴見川流域ネットワーキングのホームページに書かれています。

先ほどかつての様子と言いましたが、残念ながら現在の画像を見ても、今一つピンときません。それだけ開発が続き進んでいるわけです。しかし、このエリアで自然の保全活動をしている人たちは多いのです。

磯子高校の森は小さいながら、イルカの肉体の一部を構成している細胞群です。イルカを蘇生させるために欠かせないと考えています。

緑とはやっかいなもの

横浜市のアンケートでも、緑は大切と考える人が極めて多いことがわかりましたが、実際のところ住宅街においては、時にやっかいものとして扱われていきます。小さい木のうちは誰もさして気にしなかったのが、大きくなって手のつけようがなくなってくると、話は違います。枝を落とすこともままならず、電線にかかっていたりすると台風などの時が心配になり、また落葉樹に限らず常緑樹も葉を更新していきますから、落ち葉の始末もたいへんになってくるからです。

巨木として、観光的な人寄せのできる地位を得れば別でしょうが、民家などに生育する高くなる木は、住宅事情で後から周りに家が建ったとしても、苦情を言われたりしてしまうことが出てくるように思われます。遠くにある分には構わないが、隣近所となるとやはり話は変わります(人が見物に来るようになればなったで、また別の問題が出てきそうです)。

立木(たちぎ)の剪定が迫られた場合、人手が要り、そしてお金がかかります。どこから人が来て、誰が費用を負担してくれるのか。そのようなことは木の所有者が考えて実行すればよい、それはそのとおりです。

しかし、そのとおりに行かない、あるいはそうなりにくい場合を考えていくことが今後の緑のあり方にとって大事な一つと思えるのです。

自然災害による被害が出れば、電線なら電力会社、公道をふさげば管理する公的部署が復旧を行います。

聞いた話では、電力会社も被害が発生しそうな箇所は、こちらからお願いすると剪定してくれるそうですが、それは樹形を整えるためではないので、剪定したい箇所が他にあっても、してはくれないとのことでした。お願いをしなくても被害が発生しそうな場合にはあちらから言ってきてくれるのです。しかし、電線の周囲を確保するためのもので、剪定範囲はたいして広くはないそうです。電話線についても同様でしょう。

先ほど、所有者が考えて実行すればよいが、そのとおりに行かない、あるいはそうなりにくい場合を考えていくことが今後の緑のあり方にとって大事な一つと言いました。

具体的には、最近ある場所で、所有者のいない木があることを知りました。大きな木です。街路樹かと思っていましたが、違うと教えてもらいました。土地は公有地だが、植えたことはない、だから剪定も伐採もしない、そんなお金はない、ということのようです。法的にその言い分が通るのかわかりませんが、その木はもう何十年もそこに生えている、立派な木です。枝ぶりを生かしているのかなと思っていました。しかし、事情はまったく違っていたのです。

一方、緑地を所有される方が維持費や税金などの点で、緑地を維持したいが難しくなっている例も十分考えられます。

人手・諸経費、これはじつに悩ましい問題です。この問題はこれからの緑地を維持していくうえで避けられない大きな課題です。やっかいなことです。

しかし、じつはもともと緑とはやっかいなものであり、人の思うようにはいかないのではないでしょうか。緑に限らず、人の思うようにはいかない、それが生きものである、と認識し直していかなければと考えるのです。人のために他の生きものは生きているわけではありません。どなたかが言われていましたが、何の倫理的ルールもない生物の世界で、バランスを保つ働きを見せているのが今の生態系なのでしょう。

人の思うようにはいかないが、それを踏まえて、街中に人以外の生きものが多く棲める環境づくりが必要です。

所有者が管理することを基本として、これからは誰かの所有だからその人がやるだろう、やらなければ誰かが何とかしてくれと言う以外に、地域の環境として考え、どうしていこうかと行動していくのが大切でしょう。当然、自治体は何らかの協力をすべきです。

地域に点在する小さな緑地や立木を維持していく場合に、少し手を貸すだけで違ってくると思います。実際に先ほどの所有者のいない「大きな木」も、面倒を見ておられる方がいるのです。

生きものはやっかいなものである――。ですから、人が関わっていく必要があります。人も生きもの、かけがえのない大切な存在であり、かつ見方によってはたいへんやっかいな生きものといえるわけです。その人という生きものにとって欠かせない緑を、人の思惑だけで管理下に置こうとするには無理があります。それを承知していくのが、これからの街づくりにおいては不可欠であり、むしろ積極的に視野に入れなければならない点だと考えます。

コシアカツバメ

磯子高校には現在、コシアカツバメの巣が1つあります。 次の写真がそれです。

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(2016年3月5日撮影)

コシアカツバメがいつから磯子高校に営巣し始めたのかはわかりませんが、少なくとも今年また、番(つがい)がやってくれば3年目になります。

一昨年、昨年と育雛(いくすう)と巣立ちを観察しています。残念ながら、何羽巣立ったかははっきりしません。

巣の外での動きが速いのと、写真を撮ろうとすると警戒心から親も雛も巣の中に引っ込んでしまうため、親子とも姿を写真に収めることができませんでした。コンパクトデジタルカメラで、コシアカツバメを被写体とするのはあきらめて、巣から出掛けていく飛跡と戻って来た時の姿を眼に焼き付けることにしました。

からだの模様や色の確認はできました。巣の形も独特なので、コシアカツバメと見做(みな)しましたが、同定には不十分ということでしたら、ご指摘いただけるとありがたいです。

コシアカツバメの親が向かっていく先の一つが「磯子高校の森」の少し開けた場所でした。そこは餌場となっていたのです。昨年の観察では、何往復もしていました。 巣からの距離はおよそ100mです。

(余談ですが、今回の写真は今年購入したデジタル一眼レフで撮ってみたものです)

かけがえのないとは

横浜市環境創造局のサイトには、「かけがえのない環境を未来へ」とあります。

かけがえのないとは、代わりになるものがない、このうえなく大切な、ということ。

そのことに神奈川県も、異議はないはずです。

今、中学3年生は卒業の春を控えています。そのみなさんは、光合成によって支えられる陸上の生態系が、「緑」を基としていることをよく知っています。食物連鎖における植物の立場が「生産者」であることも。生物の多様性ということばも、耳にしているのではないでしょうか。

「かけがえのない環境」とは何でしょうか。

一度失ったら、あとで代わりになるものがないといえるものが、昔からの地形・地層を伴った、ほとんど改変されていない表土をもつ緑の集団をおいて、他にあるでしょうか。

⦅まさか臨海部があるとか出てきませんよね。横浜市の海岸線でほぼ自然状態が残っているのは、たった500mくらいといわれていますから。(川崎市は0mですね)⦆

少なくとも、学校の敷地からそうした「緑」、「地盤」、「生態系」が失われていくのだとしたら、教科書の文言など、本当にただの無味乾燥な役に立たない建前に終わります。文科省環境省もそんなふうには思っていないはずです。

ここで語っているのは、具体的には神奈川県の県立高校の話です。自治体が未来へ繋げなければ、どこもやらないということになります。