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磯子高校の森

神奈川県立磯子高等学校にある小さな森を残していきたい。磯子高校の記念としても。

磯高の樹木歴を探る

樹木の歴史を探るというのはまず、「磯子高校の森」の基盤である地面のことから考えます。

磯子高校の門の横には、海抜約56mの標示があります。 このあたりを見回すと、上中里団地、市立さわの里小学校よりもやや下がっている感じがします。とはいえ、丘の上の学校ですね。

校舎のあるところやその周辺、校庭は整地されています。 たいてい、都市部の学校の敷地内は、いろいろ改変されていることが多いものです。 その中にある学校林も、一度は伐採され、新たに植樹されたものが一般的と思われます。中にはこの木は残そうと、大事にしてきている例もあるでしょうが、磯子高校の場合、そういう木として伝えられてきたという話はなさそうです。

ですが、ある時期に植樹されたものは、3000~4000本はあるでしょう。それらは少なくとも30年は樹齢を重ねています。そのうち3000~3500本がもともと残っていた樹木と一緒に「磯子高校の森」を構成しています。 それらの木々たちは、緑を構成するものとしてはどれも同じですが、ここで一つ大事な区別をつけることにします。

学校を造るに当たって、土地の改変がどの程度行われたのか。

それ以前からの表土が残された部分と、土地の改変により削られ盛土などがされた部分とを分けます。それらは、現在につながる価値が違います。

「それ以前からの表土が残された部分」とは、かつては人手が入っていたでしょうが、それまでの植生を回復・継続させることのできる土壌を形成しています。「土地の改変により削られ盛土などがされた部分」は、そのような土壌を形成していません。

土地の改変をした場所を、改変していない植生で囲んでいればまだしも、その逆に周囲を改変されてしまえば、中身は閉じ込められた状態です。

こうして今、都市部の緑は、点々と散らばる形を余儀なくされています。上空からの画像を見れば一目瞭然ですね。そして、こんなところまでという所からも、緑が消えていっています。「磯子高校の森」もそうした緑を含んだ一つなのです。

改めて整理しますと、「磯子高校の森」は、以前からの表土が残された部分と土地の改変を伴い植樹された部分とがある、ということです。以前から残され続いてきた部分は、遡れば江戸時代、さらにはもっともっと古い時代からつながってきているのです。

それらの組み合わさった緑地を残していきたい、それがこのブログの目的です。