磯子高校の森

神奈川県立磯子高等学校にある小さな森を残していきたい。磯子高校の記念としても。

笹刈り

5月5日、ツバメの姿を見た後、磯子高校の森の西側南端付近の笹刈りを行いました。ここは写真でご覧のとおり、笹が揃って2m以上に生長し、立ち枯れが見られるような状態にもなっています。高木層との階層構造を成していますが、笹薮の中の地表付近には他の植物(草本類等)は皆無に等しく、割と長い間、放置されてきた様子です。といって、どこにも迷惑のかかる場所ではありませんから、問題はありません(写真1,2,3,4,5)。

f:id:akatsukaa:20170514074159j:plain (写真1)

f:id:akatsukaa:20170514074406j:plain (写真2)

f:id:akatsukaa:20170514074626j:plain (写真3)

f:id:akatsukaa:20170514075123j:plain (写真4)

f:id:akatsukaa:20170514075503j:plain (写真5)

写真6は、刈り取った笹を下ろしています。

f:id:akatsukaa:20170514075840j:plain (写真6)

笹を目の敵(かたき)にしているわけではありませんが、このような場所の笹刈りを行おうと思ったのは、以前にも触れたように、表土層がほとんど改変されていないと見受けられるからです。そのような所には、かつて自生し活動していたであろう植物の種子や地下部(茎や根)が休眠状態にあり、地上の環境の変化による出番に向けて待機している可能性があるのです。

それは潜在的な植生という意味ではなく、現に存在する植生の顕現ではないかと思うのです。地中にそれらの種子や地下部の器官が残されていることで実現するからです(地中にそれらが残されていなくとも、この森の存在する地域の諸条件から考えられるのが潜在自然植生、つまり極相を迎えた状態です。今はこの森の極相(クライマックス)を考えているわけではありません)。ですから、ほとんど改変されていない表土層があれば、その中に埋もれている種子や地下部によって、かつての植生が復帰する可能性は格段に高まると考えられるのです。ここで言っているかつての植生の復帰とは、潜在自然植生ではなく、人の手の入っていた雑木林の植生のことです。

そうしたことに関心のある人たちがどれほどいるかといえば、割合的にはほとんどいないでしょう。しかし、可能性の判断は多数決で決めることではありません。また当然ながら、植物が人の多数決によって、休眠から目覚めることを選択するわけもありません。

職場の上司から、機械の使用は安全上、控えるよう言われているため、すべて手作業で森の手入れを始めています。でも、苦ではありません。今回の笹刈りも手鎌一本でほぼ行っています。あとは剪定ばさみ、のこぎりをベルトに装着して適宜、使用しているだけです。根掘りも携行しています。2時間くらいが作業時間としての一区切りの目安です。

5日に続けて7日にも作業を行いました。この日は急な話の持ち掛けにもかかわらず、卒業生二人が来てくれ、手伝ってくれました。おかげでこの日の作業は捗(はかど)りました(写真7)。

f:id:akatsukaa:20170514080619j:plain (写真7)

余談になりますが、こんな所になぜあるのか、という物が時に出てくることがあります。笹刈りを進めていくと、今回出てきたのが茶碗らしきものでした(写真8)。 (※写真1の白くたなびいているのは、怪奇現象ではなく、蚊取り線香の煙です)

f:id:akatsukaa:20170514080803j:plain (写真8)

巣に居る初ツバメ

5月5日、この日は野球部の練習試合があり、校内には人が多く、体育館のピロティも荷物が置かれていました。うろうろすると、不審な者に見えるだろうなと思いながらも、ツバメが気になって様子を見に行きました。後で森の作業をするための服装をし、長靴を履き、道具等入れるカゴを持ち、そしてカメラを提げている姿は、むしろ目立ったかもしれません。

と、そんなことを気にしている暇はなく、すぐに一羽のツバメが止まっているのが目に付きました。飛び立たれないように姿勢を低くして、カメラを構えました。何枚か撮ってホッとし(写真1,2)、まだ飛び立つ気配がないのでツバメから見て左側から右側へ移動し、また何枚か撮影しました(写真3,4)。その間、ツバメは警戒心を持ちつつも、身繕いに余念がなく、いろいろなしぐさを見せてもらいました。そして、何かを察知したかのように羽繕いをやめ、素早く飛び立っていったのです。

f:id:akatsukaa:20170514021843j:plain (写真1)

f:id:akatsukaa:20170514022824j:plain (写真2)

f:id:akatsukaa:20170514022953j:plain (写真3)

f:id:akatsukaa:20170514023055j:plain (写真4)

新たな巣を作っている様子はなく、先日糞の落ちていた所を見上げると、そのうちの一つにツバメの姿が確認できました(写真5)。

f:id:akatsukaa:20170514023147j:plain (写真5)

このまま、うまく子育てにつながってくれると嬉しいですね。

ツバメは居るのかな

4月21日の夕方、ツバメの様子を見に行きました。姿は見えず、何だか気配もしません。先日、見掛けたときには昨年までに造られていた巣に近づいていましたから、再利用の品定めをしていたのかもしれません。他に行ってしまったのかなと残念に思っていると、薄暗いピロティのコンクリート張りの足元に、何か白い点々としたものが目に入ったのです。しゃがんで確かめると、鳥の糞です。そして、そのちょうど真上に巣があるのです。古巣はいくつもあるので、すべて見て回りました。

写真1は、コシアカツバメの巣(写真2)の真下です。

f:id:akatsukaa:20170424000914j:plain (写真1)

f:id:akatsukaa:20170424000943j:plain (写真2)

写真3の真上には、写真4のツバメの巣があります。

f:id:akatsukaa:20170424001005j:plain (写真3)

f:id:akatsukaa:20170424001014j:plain (写真4)

写真5はこれも糞かな、という程度のものですが、その真上には写真6の巣があります。

f:id:akatsukaa:20170424001021j:plain (写真5)

f:id:akatsukaa:20170424001032j:plain (写真6)

少しの間、見上げて様子を窺っていたのですが……。

どうでしょう、居るんでしょうか。

ツバメ再び

今シーズンからは、ツバメの飛来を気にかけて4月を迎えようと思っていました。

4月3日の時点では、まだかな、と様子を窺った程度でしたが(写真1)、新年度が始まると、締め切りの早い仕事が立て続けに入るため、一週間があっという間で、様子を見に行くことも忘れてしまっていました。 f:id:akatsukaa:20170414024904j:plain (写真1)

4月12日、この日は良く晴れて9日に満開を迎えた職場のソメイヨシノも、いっそう華やかに見えました(写真2)。 f:id:akatsukaa:20170414025203j:plain (写真2)

この12日、たまたまといっていいくらい、仕事の一環でツバメの巣を見に行く機会ができ(これも同じ職場内なのですからいつでも見に行くことができ、大げさのように聞こえますが、気持ちに余裕がないわけです)、体育館のピロティに入って見上げると、驚いたことにロープにツバメが2羽止まっていました。番(つがい)のようです。今シーズン初、確認できました(写真3)。左側のほうが尾が長く見えます。そちらがオスでしょうか。 f:id:akatsukaa:20170414025146j:plain (写真3)

こうして見ると、もう少し前から、学校の上空にやって来ていたはずです。3日の時点でも、もう少し時間をかけて眺めていたら、もしかしたら営巣場所を探す姿が見つけられたのかもしれません。

時間がなかなか取れないため、その他のツバメがやって来ているのかまでは分かりません。コシアカツバメもすでに来ているかもしれませんが、まだ今のところ確認できていません。

ツバメへの恩返し

はじめに

何を恩返しと考えているのか、どうしてツバメへの恩返しということばが頭に思い浮かんだのかについて、自分なりに整理してみようと思いました。

まず自分は何を恩返しと考えているのか。

子育てという大事な時期を人のそばで過ごすツバメという鳥が、その選択を続けるのなら持続させられないのだろうか、現時点ではそれを考えてみて、自分の周辺でできることがあれば少し試みる、それが恩返しにつながると考えたのです。

どうして恩返しということばが浮かんだのか。

ツバメが人に対して、不利益をもたらしていないのなら、むしろ自分たちの先祖は長い時間に恩恵を受けてきたのではないか、そう思えたからです。

ツバメはどうして日本にやって来るのか

昨年のツバメたちはすでに、東南アジアへと渡って過ごしているのでしょう。そちらが越冬地といわれています。

ツバメは一般的に春を告げる渡り鳥、日本での区分としては夏鳥です(日本で越冬するツバメについて書かれているものもありますが)。気象庁では各地の気象台でツバメの飛来(初見)した日付を公表しています(ツバメは生物季節観測の一種目にされています。気象庁のHPにある2015年と2016年の表中、記載があるのは北海道では函館地方気象台のみ、東京管区気象台宮崎地方気象台の記載はありません)。

例えば、横浜での観測日は2015年が4月16日、2016年は4月4日となっています。

平年は4月8日(1981~2010年の30年間のもの)で、最も早かったのが3月24日、最も遅かったのが5月4日と発表しています。

さて、ツバメは何のために日本にやって来るのでしょうか。すぐに思い当たるのは子育てです。南の暖かい地域で暮らしていればわざわざ日本まで来なくてもよさそうに思えます。

印象的には南のほうが暖かく、餌も多く、過ごしやすいのではないか……。

ところが、北村亘さんによれば、春から夏にかけて日本では東南アジア地域より、たくさんの虫が現れるのだそうです。どのように比較しているのか知りたいところですが、その餌を求めて、いや知っていて、はるばる日本までやって来るわけです。おとなになっているツバメたちだけなら、日本まで来なくても、食べていけるのかも知れません。でも、ツバメは大切な繁殖・子育てを行うため多くの餌を必要とします。そこで、春になると、越冬地の熱帯地方よりもたくさんの虫が現れる(という)日本にやって来ます。つまりツバメが日本にやって来る目的は、繁殖・子育てをするための「餌の十分な確保」なのです。(しかも7月以降は虫が少なくなるらしく、日常生活の印象とは違った感じがします。虫の数より、梅雨明けや気温の上昇に気を取られているからでしょうか)。

そんなことは毎年、ツバメが現れると巣作りをし、雛(ひな)を育てているのが当たり前に見られるので、今さら改めて確認しなくても、良さそうに思えますが、日本で子育てをする理由を答えてくれる人は、そう多くはないのではないでしょうか。

ツバメ、人のそばでどうして子育てをするのか

ツバメは日本にやって来て、家の軒先などのひさしがあり、雨をしのぐことができる場所を探しています。最近の家には庇(ひさし)がないものがほとんどになってきました。あっても奥が深くありません。家の壁の材料も巣を掛けにくいものになってきていると聞きます。巣の上を覆う物は雨ばかりでなく、現在ではカラスという天敵から雛を守るために、ひと昔前よりも奥深い軒下が必要とされているのに反して、そうした場所が減りました。その状況にあって、危険に晒(さら)されにくい場所を見つけて営巣しているはずです。

ツバメが人のそばに住む、それは天敵を避けるためといわれています。

しかし、人がいる所、それも人工的である建物だけに巣を作るとなれば、かえってその行動の不思議さが増します。北村亘さんは著書『ツバメの謎―ツバメの繁殖行動は進化する!?』(誠文堂新光社)の中で、非常に不思議なことであり、ツバメの最大の謎と言っています。

それではどうして、ツバメのように人を利用して、天敵から我が身を、雛を守ろうとする鳥が世界にいないのでしょうか。 他の鳥たちはかつてツバメと似た行動をとり、その地位をツバメと争って敗れたため、人から離れて営巣しているのでしょうか。

ツバメはいつ頃、地球上に現れたのか

それはともかく、ツバメの仲間がこの世に現れたのは、どのくらい前になるのでしょうか。ツバメは分類上、スズメ目に属し、このスズメ目は現在生存している鳥類約9000種のうち、約5400種を数えます。このスズメ目は、新生代第三紀中の約5600万年前~約3400万年前の間(始新世)の半ば辺りに出現したようです。この始新世という時代には鳥類の中でも主に水鳥が、そして、新生代第三紀中の約2300万年前~約500万年前の中新世という時代には主に陸鳥が、分布を広げた(適応放散)といわれています。新生代というのは中生代の次の時代で、恐竜の絶滅の原因を主体に語られることが多い隕石(小惑星)衝突(場所は現在のユカタン半島付近)の前後の、地球の歴史(地質時代)の大きな区分です。正確には、隕石が衝突したとされる頃に出土する生物の化石が、大きく変わる節目の前後です。

種(しゅ)としてのツバメは、スズメ目(鳴禽目:めいきんもく)のツバメ科に入り、ツバメ属に属します。日本でみられる種では他に、コシアカツバメとリュウキュウツバメが属しています。

現在につながるツバメの仲間たちがいつ頃、この世に現れたのかは、まだまだ自分の調べ不足のため、よく年代を絞れていません。たいへんざっくりした話ですが、現在につながるツバメたちも、新生代第三紀中新世(約2300万年前~約500万年前)の間には出現していたと考えてよいのではないでしょうか。アプリカツバメというツバメ属の化石が、アメリカのカンザス州の地層から見つかっていて、それは約300万年前(新生代第三紀鮮新世末)のものです。

また、ツバメの仲間たちは遺伝的に「泥で巣を作るグループ」と「崖などに穴を掘ったり穴を探したりして用いるグループ」とが明確に分かれました。泥を使って巣作りする鳥類はツバメの仲間の他にはいません。

とすると、人類の出現は現在、約500万年前とされ、さらに約800万年前まで溯(さかのぼ)ることを許容しても、人類のほうが新しい可能性が大きいわけです。人類の現れた地域は現在のアフリカ大陸が有力な説であり、そこにツバメの仲間たちがいたとしても、人のそばに住む前には、どこかに巣を構えていたのは間違いありません。ただし、可能性が小さいながらも、ツバメの仲間の中に人類の出現とともに、人類のそばに暮らし始めた種類がいたのかいなかったのかなどと考えもします。なぜなら、約1000万年前になると、各大陸で隆起運動が活発になり、大陸内部には乾燥した気候が広がり、植物もイネ科が繁栄して草原が拡大したといいます。人類の祖先は、森林の生活から草原へ出ました。人類が活動し始めたそのような環境は、泥巣を作るツバメの仲間の生活圏とかなり重なっていたのではないかと思われるからです(人類の祖先は、直立二足歩行が先か、草原へ出たのが先か。つまり、森の中で常に立ち上がるようになったのか、草原生活の中で立ち上がったのか。アルディビテクス・ラミダス(アルディ)は約440万年前の化石人類といわれ、森林生活をしていたと考えられています)。

現在のツバメやコシアカツバメの習性や行動、特にここで取り上げている営巣場所の選択(人の住んでいるそば)が、種としてのツバメやコシアカツバメの誕生とともに行われたとすれば、逆に人類の出現と同時期あるいはその後になるわけですが、人類は、化石人類の出現から現生人類まで進化しており、その間にツバメやコシアカツバメが行動様式を変えないで来たものなのかなど、自分の抱く疑問点の一つとして挙げているところです。現在のツバメやコシアカツバメが示す習性や行動がいつ頃に定着したものなのか、知りたいところです。

少なくとも、細胞中の核やミトコンドリアがもつ遺伝子の解析において、「泥を使って巣作りする種(しゅ)」と「穴を掘ったり穴を探したりして用いる種」の分岐が確認されています。泥で巣を作るという習性は、ツバメ類の進化史の中でたった一度だけと言われています。泥を使って「巣を作る/作らない」の分岐後、主としてアフリカ大陸でこの習性の分化が進み、多様性が増したとされています。その頃のアフリカでは乾燥した気候が続き、泥を使って巣を作ることが適していたと考えられているのです。

鳥類の出現前後

鳥類だけの事ではありませんが、生きものには生命活動が脈々と受け継がれてきた事実があり、遺伝物質や細胞質中の物質などが変異しながらも受け渡されてきたのは、20世紀にフィルヒョーの言ったように「細胞は細胞から生じ」て、世代交代が何代起ころうとも、現存種までつながって途切れていないわけです。ですので、少し鳥類の出現以前にも触れながら鳥類の出現に辿り着いてみたいと思います。

まず古生代とは、約5億4千万年前から約2億2千万年前までの約3億2千万年間の時代です。古生代最初のカンブリア紀(約5億4千万年前~約4億9千万年前)には、地球大気中の酸素濃度は約15%といわれています。紫外線をカットし、生物の陸上進出に欠かせないオゾン層の形成が進むのが、次のオルドビス紀(約4億9千万年前~約4億4千万年前)です。植物が陸上に進出するのが次のシルル紀(約4億4千万年前~約4億2千万年前)です。動物の陸上進出は次のデボン紀(約4億2千万年前~約3億6千万年前)です。昆虫類はシルル紀からとの説もあります。次の石炭紀(約3億6千万年前~約3億年前)に、爬虫類(はちゅうるい)と哺乳類(ほにゅうるい)の共通の祖先が出現したといわれています。 古生代最後の二畳紀ペルム紀)末(約2億5千万年前)に、地球史上最大とされる生物の大量絶滅がありました。

そして、中生代が始まります。中生代は約2億5千万年前から約6600万年前までの時代です。恐竜は、中生代最初の三畳紀トリアス紀:約2億5千万年前~約2億万年前)に出現し、次のジュラ紀(約2億年前~約1億5千万年前)とその次の白亜紀(約1億5千万年前~約6600万年前)に繁栄しました。

その白亜紀の後期までには、さまざまな真鳥類(しんちょうるい)が現れ、その大部分は恐竜とともに姿を消しましたが、生き残ったものの中に現生鳥類の祖先がいたと考えられています。

古生代の始まりからここまでの5億年近くの間に、大陸移動(衝突と分裂の繰り返し)、地殻変動、火山活動、隕石の衝突、気候変動(温度の上昇と低下、温暖化と寒冷化、湿潤と乾燥)、氷期間氷期の変動(氷河の形成と衰退)、海進と海退、酸素濃度の上昇と低下など、それらの環境条件の変化に晒(さら)され、大量絶滅を何度か経験する中、次の時代につながる生物たちが生き延びてきたのです。特に鳥類は、新生代に入ると現生鳥類が爆発的に多様化したのです。

さて、鳥類の系統でよく出てくるのが、恐竜の獣脚類(じゅうきゃくるい)です。獣脚類の代表格を一つ挙げれば、お馴染みであるティラノサウルスでしょう。ティラノサウルスレックスには体にさまざまな羽毛があったことが分かっています。これは羽毛が鳥類出現以前の獣脚類にあったということです。そのため、羽毛は断熱材の一種として、体温保持に役立ったのだろうと考えられています。現在の鳥類は、現代に生きる恐竜といわれることが増えました。地球上に出現した頃の主(おも)だった生息地は、獣脚類が陸地の沿岸部に、鳥類は内陸部にいたと考えられています。鳥類が出現(誕生)したのは、約2億2千万年前頃(中生代三畳紀といわれています。中生代白亜紀にはすでに生息しており、約6600万年前に恐竜とともにほとんどの鳥類が絶滅し、その時生き残ったものが今の鳥類につながったと考えられているわけです。そしてさらに約300万年前(新生代第四紀更新世の始め)に、当時の気候の変化によって、鳥類の少なくとも4分の1が絶滅しています。現生鳥類はそれも潜り抜けてきているのです。

鳥類の骨は中空(ちゅうくう)になっており、それが化石の残りにくさと指摘されてもいますが、骨の中空化による体重の減少は、飛ぶ能力の獲得に大きく影響したでしょうし、羽毛をもつようになり(約1億5千万年前までに)、それが発達したことで飛ぶのみならず、卵を温めるのにより適した行動がとれるようになり、長期間のうちに繰り返される地球の温暖化・寒冷化においても、とくに寒冷期には優れた適応をなしたといえるでしょう。前述のように、羽毛の発達は飛ぶことより、まずは保温などに使われたとの見方があります。また、大気中の酸素濃度が現在の約21%より低かったのであれば、鳥類の気嚢(きのう)が、効率的なエネルギーの調達に働いてきたことも大きいでしょうし、酸素濃度の上昇期にはさらにプラスに働いたともいわれています。

ツバメの起源はどこか

ツバメ科の起源が、世界のどこの場所なのかは今のところ不勉強で分かりませんが、ツバメ科にはツバメ属が17、その中に74種を数えます。そのうち、エチオピア区には36種いるといいますから、世界のツバメの仲間がおよそ半分(48.6%)もいることになります。さらにその地域にしか分布しない固有種が29種もおり、そのことから、ツバメ科をアフリカ起源と考えるのも一理あるのではないでしょうか(世界中のツバメ科の種数については、『ツバメの謎―ツバメの繁殖行動は進化する!?』には、83種とあります。エチオピア区の種数、固有種数は分かりません)。

エチオピア区というのは、世界の動物の地理的分布(動物地理区)を区分する仕方のうちの1つです。アフリカ大陸の北部以外のすべてとマダガスカル島アラビア半島の南部などを含みます。

ただし、かつてアフリカ大陸なども、中生代三畳紀トリアス紀)まで溯(さかのぼ)れば、パンゲア大陸という超大陸の一部だったのです。それは約2億年前に再び分裂を始めます。現在の地理的な区分に近づいてきたのが新生代第三紀。起源を考えるときには、こうした大陸の様子を知っておきたいものです。

日本にいつ頃、ツバメは来るようになったのか

ツバメが人の移動とともに、営巣場所を移してきたとすれば、アフリカを起源として、世界に広がった、などと想像もできますし、日本列島にもそれに連れて、と空想もできます。

日本でいえば歴史上、遺跡が確認されてくるのは、今のところ後期旧石器時代とのことですから、ほぼ確実なのは約4~3万年前からになります。それでも、その頃の住居は洞窟や岩場の陰などであり、竪穴式住居暮らしにしても、定住よりは移動していく生活と考えられています。

ですから、天敵を避けるためにツバメが人のそばに来て住むようになったのも、もしかしたら洞窟の入り口の少し奥など、だったかも知れません。それでは、それ以前はどうしていたのでしょうか。日本列島の形が何となく出来上がってくるのが、ユーラシア(アジア)大陸とつながっている状態で、ざっと500万年前(新第三紀中新世末~鮮新世始め)。かなり現在に近づいた形が出来上がって来るのが約20万年前(第四紀更新世)。日本列島全体が最終的に島となり、現在の日本列島に近くなったのがおよそ1万数千年前。ツバメは人類が現在の日本列島の地域にやって来るより前には、どのようにしていたのでしょうか。日本列島の地域には来なかったのでしょうか、それともやって来ていて、どこかで繁殖・子育てを行っていたのでしょうか。有力な仮説は、崖などに営巣していたのではないかということです。しかし、ツバメがもともと渡り鳥だったのか、いつから渡りをするようになったのかは不明です。

日本列島にやって来るツバメに限って考えると、日本列島の人口推移と合わせて考える必要があると思われます。

最古あるいはそれに近い遺跡として話題にされているのは現在、島根県出雲市の砂原(すなばら)遺跡が約12万年前、岩手県遠野市の金取(かなどり)遺跡が約8万5千年前の2つが挙げられるでしょう。人骨では、約2万年前が今のところ溯れる限界のようです(愛知県豊橋市では牛川(うしかわ)人骨が約10万年前のものとして展示されているようですが)。

ですので、繰り返しになりますが、ほぼ確実なのは約4~3万年前から。ツバメと人の関係を考える上では、ある程度の人口がなければ、成立しないようにも思われますが、その頃すでにツバメが人のそばにやって来ることが、中国大陸で成立していたなら、日本列島への人口の流入とともに、少ない人口でも成立しやすかったのではないかとも想像します。

日本の推定人口は縄文時代には約2万人から約26万人まで増え、そして約8万人と変動したとの説があります。弥生時代には約60万人、奈良時代(725年頃)には約450万人、江戸時代始め(1600年頃)には約1200万人、明治の始めには約3500万人、昭和の始めには約6500万人とされています。

平安時代平安京の推定人口が10万~15万人、鎌倉時代の鎌倉は推定6万人との試算があります。ちなみに、現在の鎌倉市人口は17万2279人です(2017年1月1日現在、鎌倉市総務課統計)。

ふつうに推測できることは、人の多い土地にはツバメが多く飛来しただろうということです。集落の周辺に田畑が作られ、二次的な自然状態の開けた土地は、ツバメにとって巣の材料や餌の確保に好都合だからです。

約4~3万年前の後期旧石器時代(~約1万6千年前まで)から現在に至るまでの、ツバメの渡りと営巣場所はどうだったのでしょう。あるいはどう変化してきたのでしょう。

この約4万年間にも、気候変動がありました。ヴェルム氷期(最終氷期)といわれるのが約1万年前に終わったとされますが、その後も小さいながらも温暖化と寒冷化の波がありました。

寒冷化したときにおそらく虫の数は減り、ツバメが日本列島のどの辺りまで来たのか、あるいは渡って来る意味はあったのか、と想像したりします。

いったん定着した人のそばという営巣場所は、その後、不動のものだったのでしょうか。

ここで、日本を舞台にまとめ直してみますと、次のようになります。

① もともとツバメが子育てにやって来ていた日本列島の地に、後から人がやって来て、その人たちのそばにツバメが来るようになった。

② 人が住み始めてから、ツバメは日本列島の地に来るようになった――。

前者①であれば、この数万年の間に、ツバメの行動に変化が起きたということになります。後者②であれば、中国大陸ではどうだったのか、につながります。

ツバメと人を結ぶ条件とは

ツバメと農耕生活という視点に立てば、東アジアではどれくらい溯れるのでしょうか。 日本の後期旧石器時代が終わり、縄文時代の前期に入ると、中国大陸では長江文明が起こります。現時点で、東アジアにおける農耕生活を溯れるのは大雑把に言って、約1万年近く前まででしょうか。

現在、西アジア(中近東)の地域はムギ・マメ類の栽培やヤギ・ヒツジ・ウシ・ブタの家畜飼育の起源地で、その始まりが約1万年前に溯ることが分かってきたということですから、東アジアにおいても、今のところ、その年代までが妥当と思われます。

約1万年近く前の中国大陸において、二次的な自然状態の人社会が存在していたのであれば、ツバメと人の関係も一応は類推できます。記録的には約3300年前の殷(いん)の時代における甲骨文字にツバメは記号化されているわけですから、その頃にはかなり身近であったと思われます。

ということは結局、さらにさかのぼって狩猟生活時代の人々に対して、ツバメはいったい、どうしていたのでしょうか。

人類が社会生活を変化させるどのタイミングで、ツバメは人のそばに来るようになったのでしょうか。どこかの時点でということなら、人が洞窟や岩場に住むようになった頃から、接近してきた可能性はないのでしょうか。その可能性があるなら、時代はずっと古く溯ることができるようになります。人類の移動に伴ってツバメも移動し、分布を広げたというのも、まんざらではなくなります。

最も簡単と思われる実験方法があります。実際に洞窟(のようなもの)に人が住んでみる、または頻繁に出入りするのはどうでしょうか。場所は街の近くから始まり、距離を設けて比較すればよいでしょう。自然の洞窟というわけにはいかないでしょうが、考察のためのいろいろな設定ができるのではないかと思います(「簡単な」とは言いましたが、思いつきを実行するには場所・費用・人の調達が必要なことは言うまでもありません)。

ツバメは人の出入りする様子を見ているでしょうから、何らかの行動が予想されるのではないでしょうか。そこから、ツバメと人を結びつける何かが見出せないものでしょうか。

ツバメが人のそばを嫌うとすれば……

人が危害を加えるようなら、いったんそばに来たとしても、だんだん寄りつかなくなるのではないかと思いますし、捕まえられて食べられるようなことはなかったのでしょうか。調べてみると、ラオスやタイなどではツバメをトラップで捕獲して食べているという記事はありました(『週刊朝日』Web記事更新2012/6/12/17:36)。これは越冬地での話ですから、巣作りとは直接、関係はありません。しかし、場所が違うからといって、人に対する警戒心が無くなるとは考えにくい面もあります。また現在はないものの、日本におけるものとしては加賀藩、海外におけるものとしては南方熊楠(みなかたくまぐす)によるイタリアの捕食話が『ツバメのくらし百科』(弦書房)に載せられています。

そのような人による捕食話がありながらも、ツバメは人のそばでの巣作りを継続しています。

ツバメが人のそばで巣作りをするのは、日本に限らず世界中に見られる現象であり、しかも、例外が今のところないというのはどういうことなのでしょうか。

再び、ツバメの渡来の条件

さて、話を戻して、ツバメが日本にやって来るようになったのは、日本列島がプレートの移動によって島弧(弧状列島)として形成されてくるまでは、ユーラシア(アジア)大陸の沿岸部などに飛来していたと考えられ、その延長として、列島形成進行中における植生の変化とともに、餌となる昆虫類などが生息かつ生息域を広げてきたのを後追いするかたちになった、などとも空想できます。人を抜きにしてもツバメと生息環境との関係でいうなら、草地や湿地(後背湿地や湿原など)が存在する所となるでしょうか。

日本列島において、餌となる昆虫類がたくさん生息できる条件がいつ頃、整い始めたのかが第一でしょうし、その後にそうした条件が満たせない時期があったとすれば、ツバメは日本には一旦やって来なくなり、再来するようになったのかということも疑問として湧きます。

ツバメの今後

それでは、もし人のそばで住みにくくなった場合、ツバメはまた、崖などのある場所に巣を構えるようになるのでしょうか。

生存を第一に行動するとすれば、そうした環境を選択していくことは考えられるでしょう。しかし、それは人が考えているだけで、ツバメの行動の変化として起こって来るかどうかはわかりません。

このとき、ツバメとの暮らし方の存続について、3つの考えを挙げてみます。

① 現在までのように、人のそばで暮らせるように工夫していく。

② 人の建物からはなるべく追い出すが、ツバメの子育てには関心をもって、代替は考える。

③ ツバメが来なくなっても、自分たちには関係がないので構わない。減っても仕方がない。この世は弱肉強食だから。

個人的には③→②→①という具合に変化してもらえたら、と考えています。

泥の巣を作って子育てするということが、ツバメ属の遺伝的・生得的な行動であれば、それをしなくなるのは本質的には遺伝的な変化です。その変化が繁殖・子育てにつながらなくなってしまえば、自然界においてツバメ属は滅びます。その「泥巣作り」と「人のそば」とは切り離せるのでしょうか。

ツバメが人のそばで巣作りをするのは、日本に限らず世界中に見られる現象であり、しかも、例外が今のところないという点に関してはすでに触れました。ツバメの子育てが人のそばで行われる、これは習得的(学習による)行動なのでしょうか。

もし習得的ではない、あるいは習得的性質が極めて弱いのであれば、人が洞窟でも、岩陰でも、建物でも、住もうと思えば住め、そこで子育てできるというのとはちがうわけです。

ツバメやコシアカツバメが「人のそばで子育てする」ことに関して、その行動選択は前述したように現在、謎に包まれています。

ですから、もしも巣作りの場所を人のそばから代替地へというのであれば、ツバメ属にとっては急激に変えようのない特異的な行動を最大限、どのように考慮しなければならないのかを、十分な試験結果によって根拠を得てほしいものです。

生きものの価値

人にとって、ある生きものの存在がどういうものであるのか、時代の進行とともに確認を怠ってはならないと考えます。

人の生活に関係あり/無関係、役に立つ/役に立っていない、有益/無益、利益/不利益、有害/無害、有難い/迷惑、興味・関心を引く/無関心といったような見方・考え方がどうしても出てきます。人の価値観です。

人以外の生物の世界に倫理や道徳はないといわれます。あるように見えたりする事柄はありますが、やはりそこには人の価値観が投影されてしまいがちです。ものの譬えに使われることは文化的にありますが、一方で科学的に明かされてきた事柄を踏まえていかなければなりません。

自分たちの価値観に左右される度合いが強いのが我々、人類の発展途上的な側面でしょう。生きものの存在を認めるとか認めないというのは、傲慢(ごうまん)な態度です。

事実をどう解釈して世界観につなげていくかは、第一線の学者の人たちのみならず、生物の研究と関係のない生活を送るごくふつうの人たちにも、大切な人生観を形成するのに欠かせないものです。

益と害

有益性と有害性に、どうしても人の関心は向いてしまいます。わかりやすさは知識の普及には必要ですが、いろいろなことがわかってくると、物事はだんだんと表現しにくくなってきます。何とか正確に伝えようと心掛けている人は、説明のしづらさが、何とかしようとしている正直さに現れたりしているものですが、どうも一般的には受けがよくありません。

生きものの有益性と有害性に関しても、こうした状況に置かれるようになってきました。

人にとっての有益性は簡単に言えるものではないことがわかってきました。ある事柄ばかり注目して利用しようとすると、不利益が生じてくる場合があるからです。

例えば、ムクドリという鳥は田畑の害虫を食べてくれる、だからムクドリが増えるのはよい、農薬を使わなくて済む、害虫駆除の人手も省ける、かつてはそう言われていました。

ところが、そのように単純に考えていると、環境の変化も加わり、今度はムクドリによる果樹園の被害が出始め、頭を痛めることになります。益鳥/害鳥のどちらかに決まるわけではないのです。また、都市部においても庭木の果樹(柿など)に、ムクドリヒヨドリが群がり貪(むさぼ)る姿は、とてもかわいらしいとはいえません。

一般的に虫と呼ばれる生きものの中に、益虫/害虫といわれてきた虫たちがいます。

例えば、世界三大益虫と言われているのはミツバチ、カイコ、ラックカイガラムシです。ミツバチは蜂蜜、カイコは生糸(きいと)、ラックカイガラムシは赤色の染料(ラッカー)や食品のコーティング剤などを生産する昆虫として利用されています。

しかし、ミツバチもカイコも現代の都市部では身近ではありません。ラックカイガラムシは日本にはいません。

もっと身近な生きもの、食物連鎖の網目の中で、捕食者として、人が嫌うゴキブリ、ダニ、ハエ、カなどといった虫を食べてくれている虫たちが都市部でもいます。

クモ、カマキリ、トンボ、狩りバチ、などです。ゲジはどうでしょうか、市街地では見かけなくなりました。

しかし、これらの虫たちも人に優遇されているとは思えません。いると不快だという不快害虫にクモやゲジはされてしまいます。追い払うならともかく、叩いてつぶす人もいるわけですから、理解されるのは難しい面があります。

爬虫類ならヤモリやトカゲ、両生類ならカエルもいろいろな虫の捕食者ですが、ヤモリを除いて、市街地からはほとんど姿を消しています。

そして、鳥たち。鳥が苦手だという人たちはいます。聞いたところでは、飛んで向かってくるのが怖い、足が見ていてダメ、足の爪が痛かった、咬まれて痛かったから、糞をされた、などでした。

鳥の中でも、ペンギンなどは人気があります。しかし、日本での居場所は動物園や水族館に限られています。そのような限定的な空間だから人気があるのかも知れません。

ツバメはどうでしょうか。統計的な数字はわかりませんが、好きな人は比較的多いのではないかという気がします。

ツバメは子育てに大量の虫を必要とし、子育て中は巣から200m程の範囲で虫を捕まえて来るといいます。餌となる虫は羽アリ、ハチの仲間、カゲロウの仲間、ハエやガ、トンボなど、空を飛んでいる虫に限られます。雛だけでなく親自身が食べる餌も、空を飛びながら食べているそうです。

虫が嫌いな人は多いと思われます。その人たちにとって、ツバメの存在はありがたいにちがいありません。ツバメが飛び回ることでクモの巣は取り払われています。花と虫の関係は密接であり、花壇に花を植えただけで、虫はやって来ますが、それらの虫も餌の一部になります。 それ以上にその昔、我々の先祖を農作物の食害などによって困らせた虫たちを、ツバメたちが大量に捕食してくれていたことでしょう。それが現代になって、ただの邪魔者扱いしてしまうとしたら、薄情といいますか、恩知らずといいますか、そんな感じを抱いてしまうのです。糞を落とされて困ってしまうのは事実ですから、そのお嘆きに対して、薄情とか恩知らずなどと責めるものではありません。ただ、今のご時世のその点だけを見てしまわずに、ツバメが人のそばに住む価値を見出せないものかと考えています。

他の鳥たちにも天敵はいますし、ツバメだけが行う、人の建物に限って巣を構えるという特異的な行動をより知っていくことは、ムダではない気がします。長い歳月、選択し続けてきた、人のそばにおける子育て自体にも、何かしらの光を当てて価値を照らし出せないものでしょうか。

ツバメと人の間にある課題

自分たちの先祖がツバメから不利益を被った(こうむった)とは今のところ、考えられません。むしろ、有益だったと思えます。現在の最大の課題は「糞」と言っていいでしょう。

巣からの糞は、雛が落とします。どのくらいの期間、落とし続けるのでしょうか。

雛が孵化して巣立つまで約3週間、そのうちの始めの1週間は、糞を親がくわえて遠くに捨てに行くそうですから、糞落としの被害・迷惑は発生しません。実質的な糞の落下期間はあとの2週間ほどになります。このことは、実際にはあまり認識されていないと思われます。いろいろな事柄と同じく、「喉元(のどもと)過ぎれば熱さを忘れる」といわれるのと同じで、ふつうは気にせず、また持続的に知ろうとしている人はまず、いません。ですから、まずは「糞が出てくるのは、2週間ほどである」ことを知ってもらうのが大事な気がします。これを短いと思うか長いと捉えるか――。

さて、ツバメはそうしたことを、意に介さないでしょう。自身の生存率を高め、子孫を多く残すために必死なわけですから、このように人が課題を解決しようとしているのにもかかわらず、その気持ちが伝わってはいないはずです。しかし、ツバメに対して恩知らずな生きものだとは言わないでいたいものです。

人の非科学的な価値観でツバメを捉えないために

北村亘さんの調査では、約3割の巣に「つがい外子」、つまりメスの浮気による雛がいることがわかりました。さらに雛全体の約15%が「つがい外子」だったのです。

ツバメは一夫一妻の番(つがい)になるのですが、同じく一夫一妻の鳥の中で、「つがい外交尾」をする種類は9割を超えるといわれるのです。

ツバメは10cm程の近い距離にいれば、番(つがい)と見做せるそうですから一見、仲睦(なかむつ)まじい姿を見せてくれているように思えますが、じつはメスが浮気しないように見張っている行動であり、一方、オスはオスで浮気に出かけるそうです。また、監視されているメスはメスで、見張りを振り切って浮気しに飛んでいく場合もあるそうです。

動物の予想外の行動で世の中に最も衝撃を与えたのは、「子殺し」でしょう。これは日本の杉山幸丸(すぎやまゆきまる)さんがインドにおいて、ハヌマンラングールという霊長類(れいちょうるい)の一種でそのことを発見しました(『子殺しの行動学』(講談社学術文庫))。

その後、いろいろな動物でその現象が見つかってきています。

ツバメのオスも、他のオスの子どもを殺すことがあります。

こうして見てくると、ツバメもただのかわいい存在には思えなくなってきます。しかし、こうしたことも踏まえて、ツバメとの関わりを考えることが大切だと思うのです。

磯子高校内、一番身近な所にいるツバメたちへの関心

現在、磯子高校に来るツバメたちは体育館の1階ピロティで子育てをします。しかし、そこは日常的に生徒たちが活動をする場所であり、人が動き回ったり、音が響いたりする環境です。その上部の空間に巣を設けて子育てが行われます。快適ではないかもしれないのですが、どこかで妥協し、この場所を選択したのだと思います。学校の敷地内の建物には他にはどこにも作ろうとしている場所が見当たらないのです。おそらく、一番安全性が高いのだと思います。

そして巣から200m程の範囲とはまさに《磯子高校の森》があり、その周辺部や校庭には草場があります。さらに学校は丘の上にあるのですが、標高(海抜)を20~30m程下った所には大岡川(上流部)が流れています(コンクリートで護岸はされています)。そうした周囲の環境があって、ツバメたちは餌や巣の材料を集めることができているのです。

なお、神奈川県においてはツバメも、コシアカツバメも、2006年のRDB(レッド・データ・ブック)では減少種とされています。だからといって、特別何かされているわけではありませんが(神奈川県のHPに、「ツバメを見守ってください」(県央地域県政総合センター:環境部環境調整課 掲載日:2012年7月6日)がありますが、学校現場における調査などはされていません)。

終わりに

この春にまたやって来るツバメたちへの関心を、少しだけ高められたらと思っています。 (以上で、本文は終了します)

Wikipediaの記載について。

・ツバメは「ほとんど人工物に造巣し、」とありますが、「ほどんど」ではなく、次の2つの文献では「すべて」です。Wikipediaの参考文献欄には、『ツバメのくらし百科』と載っています(最終更新2016年7月5日(火)09:53、閲覧は2017年1月12日)が、『ツバメのくらし百科』のp28には「自然物での営巣は全く見られず、完全に人工建造物、それも人の姿ができるだけ多い場所を選ぶようにして営巣している」、p132には「巣を造る場所(営巣場所)は、今日、ツバメ、コシアカツバメでは人家をはじめとする全て人工建造物である」、p204「ツバメでは人口建造物以外の自然物に営巣したなどというのは全く確認されていない」とあります。本文中で触れている『ツバメの謎―ツバメの繁殖行動は進化する!?』においても同様です。

・また、コシアカツバメは「崖」にも巣を作る(最終更新2016年11月15日(火)12:47、閲覧は2017年1月12日)とありますが、これも『ツバメのくらし百科』のp132(前述)とp159に「営巣はツバメ同様に人工建造物に限られ、今日、自然物への営巣は全く知られていない」とあります。

(このように書きましたが、Wikipediaの存在意義を否定しているわけではありませんので、誤解なさらず。Wikipediaを足掛かりに調べを広げていくのは、一つの手段として有効です)

※生きものを守るバリアについて

オゾン層が生きものにとって、バリアになっていることはよく話題にのぼります。それは地球環境問題の一つとして、オゾン層の破壊が挙げられるからでしょう。しかし、上空で生きものを守ってくれているのは、オゾン層ばかりではありません。

まず地球大気は、大気圏外から地表に向かってくるX線を散乱させて、吸収しています。

太陽からは、太陽の高温により主に水素原子が電離し、それによって電気を帯びた(荷電した)粒子と、それが太陽の磁力線を伴い、地球に向かってきます。電気を帯びた粒子とは陽子と電子であり、高温によって電離した状態のものをプラズマといっています。この磁気と電気を帯びた高温の粒子(プラズマ)の流れを「太陽風」と呼んでいます。

太陽風は、生きものにとっては危険な粒子であり、直接地球に吹き付けてしまえば、少なくとも地上の生きものは全滅します。

ところが、地球は誕生して20億年近く経つ頃に、巨大な一つの磁石になり、地球の周りに磁気圏を形成しました。その磁気圏が、太陽風が直接地球に吹き付けないように進路を曲げてくれています。つまり、上空(宇宙空間)の磁気圏がバリアになっているのです。そのバリアを作り上げているのは地球内部の核の動き(外核にある液体金属の流れ)ですから、上空ばかりではなく、足元の地下深くによっても、生きものは守られています。

外核とは、地球内部地下2900~5100kmの部分で、液体金属でできており、その対流によって電流が生じ、その電流が地磁気を発生させています。それが地球を巨大な一つの磁石にしている源です。

ところが、太陽風は危険なものである一方、さらに遠くからやって来る「銀河宇宙線」(太陽系外から飛来する宇宙放射線)というこれまた危険な粒子を、地上に降り注がないようにしてくれているバリアになっているというのですから、この何重にもなった自然界の物理的なしくみが、我々の人生を支えてくれているわけです。

【参考文献・Webサイト】

・北村亘『ツバメの謎―ツバメの繁殖行動は進化する!?』(誠文堂新光社

・フランク・B.ギル『鳥類学 原著第3版』(新樹社)

・太田眞也『ツバメのくらし百科』(弦書房

杉山幸丸『子殺しの行動学』(講談社学術文庫)

・ツバメかんさつ全国ネットワークwww.tsubame-map.jp/

・ツバメakaitori.tobiiro.jp/tubame.html

・渡り鳥と足環 山階鳥類研究所www.yamashina.or.jp/hp/ashiwa/ashiwa_index.html

日本野鳥の会 : 消えゆくツバメをまもろうキャンペーン https://www.wbsj.org/nature/research/tsubame/

池田清彦教授 日本にツバメが来なくなったわけとは https://dot.asahi.com

・日本旧石器学会palaeolithic.jp/index.htm

・農業起源の考古学―農耕牧畜はどのように始まり、世界に広まっていったか? http://www.num.nagoya-u.ac.jp/outline/staff/kadowaki/laboratory/research/origins_of_agriculture.html

・図録 人口の超長期推移(縄文時代から2100年まで) www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html

・その2 縄文時代、26万人でピークに | ナショナルジオグラフィック日本版サイト natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110907/283253/

・鳥種別生態と防除の概要:ムクドリ www.naro.affrc.go.jp/org/narc/chougai/wildlife/strlng_v3.pdf

・牛川人骨出土地 | 豊橋市美術博物館 www.toyohashi-bihaku.jp/?page_id=494

・1.湿原とはどんなものか - 波田研 - 岡山理科大学 had0.big.ous.ac.jp/moor/ecology/ecology.htm

・みんな気になる?!ギモンと答え 宇宙科学研究所キッズサイト www.kids.isas.jaxa.jp/faq/

・宇宙放射線 - JAXA 宇宙教育センター https://edu.jaxa.jp/seeds/pdf/2_radiation.pdf

・地球外核は二層に分かれて対流している?! 〜「地磁気の逆転」の謎に迫る www.spring8.or.jp/ja/news_publications/research_highlights/no_65/

磯子高校の森に、11月の初雪と積雪

11月24日の、雪に関する記事を検索してみました。

TOKYO Web、NHK NEWS WEB、YOMIURI ONLINEカナロコの4つの記事からの抜粋です。

①TOKYO Web

【神奈川】11月の初雪 県内冬景色 横浜、観測史上2番目に早く

横浜地方気象台によると横浜市での十一月の初雪は、十一月二十二日に観測された一九六二(昭和三十七)年以来。

NHK NEWS WEB

東京都心で初雪 11月の積雪 明治8年以降で初

11月24日 12時48分

24日朝は各地で初雪を観測し、いずれも11月としては、東京の都心と横浜市甲府市で昭和37年以来、54年ぶりに観測したほか、宇都宮市水戸市で31年ぶり、前橋市と埼玉県熊谷市でも14年ぶりに観測しました。 また、東京の都心では、午前11時にうっすらと雪が積もったのが確認され、11月としては明治8年の統計を開始して以降初めて積雪を観測しました。

YOMIURI ONLINE

東京都心、11月に初の積雪…降雪は54年ぶり

2016年11月24日 13時04分

 気象庁は24日、関東各地で初雪を観測したと発表した。

 東京都心では、気象観測を始めた1875年以来初めて、11月に積雪が確認された。都心のほか横浜、甲府両市で、1962年以来54年ぶりの11月の降雪となり、転倒によるけが人や一部で鉄道ダイヤの乱れがあった。

 前線を伴った低気圧が南の海上を通過していることに加え、関東の上空を真冬並みの寒気が南下し、雨が雪に変わった。東京都千代田区の気象庁で午前6時15分頃、初雪を観測した。さらに午前11時、同区北の丸公園の観測地点で、芝生がうっすらと雪をかぶったことを同庁職員が確認し、都心での積雪を発表した。

 東京での初雪は平年(1月3日)よりも40日早く、昨冬(同12日)よりも49日早い。関東各地の11月の降雪は、千葉市では初めて、宇都宮、水戸両市では85年以来31年ぶり、前橋市、埼玉県熊谷市では2002年以来14年ぶり。

カナロコ by 神奈川新聞

横浜、雪化粧 54年ぶり11月に初雪

11/25(金) 15:10配信

 強い寒気と低気圧の影響で24日、県内各地は雪となり、54年ぶりに11月の初雪となった横浜では、雪化粧した街並みが街路樹の紅葉とコントラストを描いた。東京都心でも54年ぶりに11月に雪が降り、1875(明治8)年の統計開始以降初の積雪も観測された。

 横浜の初雪は、平年(1月7日)より44日早く、昨冬(1月12日)より49日早かった。横浜地方気象台によると、相模原市中央区で1センチの積雪があったが、横浜の観測地点である同気象台(横浜市中区山手町)では積雪が確認されなかった。

 冷え込みも厳しく、横浜では午前11時過ぎの1・2度が日中の最低気温。県内の他地域でも今季最低を記録し、最低気温が0・5度だった三浦と0・8度の辻堂では、11月の観測史上最低を更新した。

  ◇      ◇      ◇      ◇      ◇    

これらを見ると、横浜における11月の初雪(降雪)は、4つの記事になっているのですが、積雪については上の3つには記述がなく、4つめのカナロコでは、横浜地方気象台の所在地では積雪が確認されなかった、とあります。

横浜地方気象台の所在地は、横浜市中区山手町99番地です。北緯35度26.3分、東経139度39.1分、標高39.1mにあります。港の見える丘公園に近く、埋立地があるものの、海まで最短直線距離で約400mに位置しています。

気象台の所在地では積雪が確認されなかった、というのは、やはり海に近いためでしょうか。 これは気象台に直接問い合わせてみないと分からないですね。

それとも、1cm未満は0cmと記載されるようなので、うっすら程度の積雪は0cmで、もしかしたらこれを、積雪が確認されなかった、と記事にしたのかなぁなどと、思ったりもするのですが、こういう小さな疑問を確かめていくというのも、億劫なものですね。

それはともかく、磯子高校の森には雪が降り、薄く積もったのは間違いありません。磯子高校の所在地は、北緯35度22分14.4秒、東経139度36分31秒、海抜約56m(通用門:東側の森の横)にあります。西側の森の最頂部は約70mです。

写真1が東側の森です。 f:id:akatsukaa:20161126220317j:plain (写真1)

写真2が西側の森です。 f:id:akatsukaa:20161126201047j:plain (写真2)

ここで、標高と海抜について、触れておこうと思います。横浜地方気象台は「標高」と書かれていますし、磯子高校には「海抜」と標示してあるからです。

検索してみると、『1分で読める!![ 違いは?]』の説明が分かりやすいので、そのまま引用させてもらいます。

 日本における「標高」は、東京湾の平均海面を基準(標高0m)とした土地の高さです。

海面は波があり固定されていないため、実際には、国会前庭に設置された日本水準原点(標高24.3900m)を基準点として測量されます。

「海抜」は「標高」同様、平均海面を基準として計測されますが、東京湾ではなく近くの港湾などの平均海面を基準としていることが多いです。

これは津波対策や高潮対策が必要な、海に近い地域での海抜表示などで用いるためで、近隣海面との比較が重要になるためです。

このため、山の高さや、土地の高さ、一般的な地理上の高さを表す場合「標高」、海の近くで津波や高潮の災害対策に用いられる場合は「海抜」が使われることが多くなっています。 

もう一つ、国土地理院ホームページの『標高と海抜と水準点』からの引用です(一部、加筆しています)。

 国土地理院(測量法)では、東京湾の平均海面を0mの基準面としています。

基準面からの高さを標高とよびます。

また、近隣の海面(たとえば大阪湾など)からの高さは海抜とよびます。

高さを計る出発点となった日本水準原点は、東京都千代田区永田町1丁目にあり、東京湾の平均海面からの標高 24.39 メートルに位置しています。平均海面を計るのが、験潮場(けんちょうじょう)と呼ばれる施設です。

また、水準点は正確な高さを求める測量をおこなうときに基準となる点です。

国土地理院で設置した水準点は、約2万点あります。

全国の主な道路沿いに約2kmごとに設置されています。水準点のない所の高さは、地形図の等高線から判断します。 

さらに、緯度と経度についても、調べて確認しておくことにします。

度(ど)・分(ふん)・秒(びょう)についても合わせて確認します。

こちらも同じく、国土地理院ホームページの『経度、緯度って何だろう?』を引用・参考にしながら。

1度は1分の60倍です。1分は1秒の60倍です。

東京付近での緯度1秒の長さは約31m、経度1秒の長さは約25mです。

60進法は時計と同じですが、ここでの分や秒は時間ではなく、長さを表します。

人工衛星の利用などにより、地球の直径が赤道上で約1480m、大きいことが分かり(その分を加えて、地球の直径は12756㎞となった)、それまでの測量の基準(日本測地系)が、世界的に統一された測量の基準(世界測地系)となりました(2002年4月1日、測量法改正)。

1分は60秒ですから、0.1分は6秒です。例えば、緯度の場合、1分違えば、60秒×31mで約1860m離れています。

横浜地方気象台と磯子高校は、緯度にして、北緯35度26.3分(26分18秒)-北緯35度22分14秒=4分4秒=244秒、経度にして、東経139度39.1分(39分6秒)-東経139度36分31秒=2分35秒=155秒の長さ(距離)があります。緯度の差は224秒ですから、224秒×31m=6944m、経度の差は155秒ですから、155秒×25m=3875mとなります。これは横浜地方気象台から南方向に約7㎞、西方向に約4㎞移動すると、磯子高校に辿(たど)り着く計算になります。

ついでに、直角三角形が描けますから、ピタゴラスの定理三平方の定理)を使って、横浜地方気象台と磯子高校の直線距離(斜辺部分に該当)を求めてみます。

(7×7)+(4×4)=49+16=65となりますから、だいたい√64=8。8㎞余りというところでしょうか。

横浜地方気象台と磯子高校が、そんなには離れていないということを、かなり回り道をして示すかたちになりました。

磯子高校脇の坂道の途中に、自動車何台分かくらいの空き地があります。翌日の11月25日午前9時過ぎ、朝日の陰になる所に生えた植物の上には、まだうっすらと雪が残っていました。